リーガルリリーBa.海の部屋
「第二十二回:ばらの花」
暖房で揺れるカーテンをすり抜けて、窓から春の光がキラキラと降ってくる。
隙間から覗く窓際の植物はその光を浴びながらぐうっと伸びをするように、文字通り毎日背丈を伸ばした。若葉色のぷりぷりとした新芽と素よりいた葉の質感と比べ、少し心配になって洗面所で自分の肌を確認した。うん、ぷりぷりとまでいかないが、まだそんなに悪くない。
近所のスーパーに寄ると、もうとっくにハルが訪れていた。
一際堂々とそびえ立つ、陶器のように真っ白で滑らかなタージマハル(Taj Mahal)。かぶを見るといつもその事で頭がいっぱいになるのだ。束になったそれはとても1人では食べきれないだろうけれど、あのもっさりとしたお得感にはどうも手を伸ばしてしまう。
少しのひき肉と一緒にコトコト煮込んで薄く味付けすると素朴で優しい味の煮物ができるので、たくさん作って冷凍庫にでもしまっておこう。
茎を少し残して葉を落とすとばらの花が覗くことをつい最近まで知らなかった。母もおばあちゃんも知っていたはずなのに、今まで誰も教えてくれたことはなかったのだ。
自分の手で料理をして、そのばらを見つけたときに誰の顔を思い浮かべるのか、誰に伝えたいと思うのか、日常に潜むほんの小さなことだけれどもしかしたらとても大切な事かもしれない。
近頃なんだかずっと心が緊張している。
小さくもない身体が何かに凭れていないと自分の鼓動だけで揺れてしまうような、たくさんの情報と感情とが特別な声も言葉も出せないこんな私の身体を貫通して交錯する度に見えない糸で磔にされるような。
けれど、私の目の前にはかぶがあって、包丁があって、いつもと変わらない生活がある。そしてその日々を保証されたようにいつ食べるかも分からない食事の準備をしている。
暖房の音があって金魚のポンプの音があって、スマートフォンで垂れ流したアニメの爆撃が響く。
まだ熱く、味もさほど染みていないだろうそれを貪欲に食べると、そんな心を手で優しくさするような味がした。
学校に行けなかった朝におばあちゃんが淹れてくれた熱すぎる緑茶も、嫌なことがあった日に「人の手が触れることは心の手当て」と背中を撫でてくれた母の手も全部この身体に根付いてる。
それからかぶのばらを両手いっぱい、会ったこともない大切な人たちに届けられたらなんて戯言を吐いて眠りについた。
温かいもので腹を満たすこと、温かい布団で眠ること、温かい手で触れること。
音楽はその次でも良いのかもしれない。
その次でも充分すぎるかもしれないと。
海 (2022.03.14更新)
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「第二十五回:愛をこめて」
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「第二十四回:skin」
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「第二十三回:初夏、爆ぜる」
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「第二十二回:ばらの花」
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「第二十一回:City Lights」
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「第二十回:たまらない」
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「第十九回:cell」
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「第十八回:生業として」
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「第十七回:何もかも憂鬱な夜にはスープのことばかり考えて暮らした。」
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「第十六回:李の季節」
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「第十五回:整理番号0番、Kの夜」
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「第十四回:雨男のバイブル」
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「第十三回:デロリアンに乗って」
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「第十二回:抱擁」
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「第十一回:金麦、時々黒ラベル」
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「第十回:そして春が終わる」
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「第九回:青色の街、トーキョー」
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「第八回:生活のすべて」
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「第七回:世界の絡繰」
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「第六回:ロマンス、ブルース、ランデブー(雑記)」
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「第五回:キリンの模様」
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「第四回:一切合切」
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「第三回:愛おしい(いと おいしい)時間」
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「第二回:キッチン」
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「第一回:猫と金柑」