リーガルリリーBa.海の部屋
「第八回:生活のすべて」
3月に入ってまだ肌寒いのにもかかわらず陽気のせいか花粉のせいか、もうすっかり春ですね。
こちらは相変わらずドライヤーとご飯の順番を間違えて伸びきったラーメンを食べたり、覚えのないティッシュのおかげで洗濯物を2回まわしたりしています。
一人暮らしをはじめて半年以上経って一人の時間がこんなにも自由で気楽なものだと知った。
あと贅沢は心の健康のために必要ってことも。
贅沢といってもせいぜいTSUTAYAに行ってDVDか漫画をまとめて借りることかブックオフで掘り出し物の小説を買うことか、ごくたまに銭湯に行くことくらいで。
そんな小さな幸せを噛みしめながらも、実家帰る度に「もうあんまり長くないんだからねー!」と冗談まじりで言うおばあちゃんの顔を思い出してどうしようもない気持ちになったりしている。
そしてそんなどうしようもない気持ちの時、朝と夜がきっちりと隙間なく繋がっているということはとても厄介な事実であり、何気にこれが一番こたえるのだ。
今までは朝になれば誰かの顔を見ながらご飯を食べて、寒くて布団から出れない母に声をかけ、律儀に玄関先まで見送りをしてくれるおばあちゃんに手を振って家を出ていたから、どんなに不甲斐ない夜があってもまた別の朝がきた。
だが今は違う。夜中に走る救急車のサイレンを聴き、月明かりで天井に映るカーテンの揺れを感じながら朝を待つのだ。そして何の境目もなくまた一日が始まる。
きっと家族の有難味は洗濯が面倒だとか食事が用意してあるとか、そんなところで感じるのではなくて、何時でも"確かにそこに居てくれた"と気づいたとき感じるのだと思う。
私はこんなにずっと使っているのに歯磨き粉が一体何でできているのかも知らない。
一緒にいた身近すぎる人たちのことも同じように、本当はなにも知らないんじゃないかと怖くなる。けれどそれでもいいんじゃないかって、
だってこれからもずっと一緒なのだから。
海 (2021.03.12更新)
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「第二十一回:City Lights」
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「第二十回:たまらない」
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「第十七回:何もかも憂鬱な夜にはスープのことばかり考えて暮らした。」
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「第十一回:金麦、時々黒ラベル」
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「第十回:そして春が終わる」
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「第九回:青色の街、トーキョー」
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「第八回:生活のすべて」
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「第七回:世界の絡繰」
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「第六回:ロマンス、ブルース、ランデブー(雑記)」
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「第五回:キリンの模様」
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「第四回:一切合切」
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「第三回:愛おしい(いと おいしい)時間」
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「第一回:猫と金柑」