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~アルバム「VIOLET」完成~

「運命に翻弄 行く末を憂う そんな自分にサヨナラを告げる」という、1曲目「VIOLET」の歌いだしを耳にした段階で、まず驚く。その驚きは、ラストを飾る10曲目「調子乗ってDance」まで続く。しかも、一方向ではなくあらゆる方向に、1曲ごとにいちいち予想を裏切りながら、そして、上回りながら。

 BARBEE BOYSの、1992年の解散以降で初めてだった「音源も伴った本格的再始動」(2018年末~2020年1月)を経て の、杏子のニュー・アルバム『VIOLET』。8年半ぶりとなるこの作品に、杏子とそのスタッフたちは、まず、多保孝一にプロデュースを依頼して1曲作ってみる、という方法で着手した。それが、2020年6月17日にリリースされたデジタル・シングル「One Flame, Two Hearts」である。
 2007年にSuperflyでデビュー、数々のヒット曲を生み、2013年にSuperflyから離れて以降は、chayや三浦大知、木村拓哉や家入レオ等、錚々たるアーティストたちと仕事をしてきた多保孝一は、1982年生まれ。BARBEE BOYSの過去の映像や、福耳などで杏子の存在を知ったのは、高校生の時だという。
「ジャパニーズ・ロックを掘り下げるようになってから、改めて……日本のフィメール・ロック・シンガーの草分けとい うか。自分も女性ボーカルと組んでいたので。お話を頂いた時はすごくうれしかった」と、多保は言う。ただし、杏子&スタッフが期待した多保孝一の音楽と、現在の多保孝一の作る音楽の間には、当初はギャップがあったようだ。

 「僕、ロック的なものから、しばらく遠ざかっていて。たとえば三浦大知さんの曲を、ヒップホップ系のトラックメイカーとコライトして、みたいなことを、ずっとやっていたんですよ、この3~4年。ロックは、自分の中では、Superflyでやりきったというのが、前提としてあって。それと同時に、海外の音楽シーンの移り変わりに影響を受けたのが、すごく大きくて。決定的だったのが、2017年にグラミー賞を観に行ったんです。今の海外の、いちばんすごい猛者たちのステージが繰り広げられる場所じゃないですか。それにすごい衝撃を受けて、『もう自分は、次のステージに行かないといけないな』って確信したんですよね。
 それで、自分が今までやってきたことから離れて、事務所も移籍して、トラックメイカーやラッパーとコライトして作るとか、そっちに振り切って……みたいなことを、ひたすら繰り返してきたんです。杏子さんが期待していたのは、もっとロック的な、僕がSuperflyで作っていたようなイメージだと思うんですよね。だから、最初はびっくりされたと思います」(多保)

 というわけで多保は、本作の曲を、自分とよく仕事をしている、あるいは一度仕事をしてみたかった、トラックメイカーやミュージシャンとコライトする、という方法で制作した。作詞家も然りで、杏子との仕事は初どころか、多保とも初の人もいる。そういうひとり=在日ファンクの、という以上に、今や俳優として知られる浜野謙太が、「調子乗ってDance」を作詞しているのもユニークだ。
 その結果、R&Bやヒップホップやエレクトロやロックが自在にブレンドされたトラックも、そのトラックに載る「日本語であることに忖度しない」メロディとリリックも、それを歌いこなすために、これまでの可動域の外まで踏み出している杏子のボーカルも──つまり、あらゆるポイントで「これまで聴いたことがない杏子」に出会うことができる、新鮮さに満ちた作品に仕上がった。と同時に、彼女のファンに驚きをもたらすだけでなく、これまで杏子を知らなかったリスナーにもリーチするであろう、広さと深さを湛えた楽曲集にもなっている。

 「改めて杏子さんの過去のソロを聴いた時に、グランジっぽい、ヒリヒリしたロックの印象があったんですけど。自分がプロデュースするなら、そっちじゃないな、と最初は思ったんですね。杏子さんのヒストリーを、バービーも含めて聴いた時に、自分がいちばん好きだなと思ったのが、艶っぽい声だったんです。それを、今の杏子さんで、自分が引き出せたらな、っていう。
 そういう方向でイメージが閃いて、『One Flame,Two Hearts』を作って。ちょっと賭けではあったんですけど、もし的が外れたとしたら、それでご縁がなくなってもしかたないな、と思ったので。そしたら反応がすごくよくて、『アルバムを一緒に作りませんか』という言葉をいただきました。だから、そこからも、声のイメージありきで曲を作っていきました。『エレクトロがいい』とかいうふうに、サウンド先行で発想したわけではなくて、まず声、という」(多保)

 杏子ほどのキャリアとポジションのあるアーティストが、本作のように、根本から新しいことにトライする例は、普通、まあ、ない。今さらそんな大変なことはやりたくないだろうし、あるいはやりたいと思っても、心身がついていかないだろう。相当の決意なり覚悟なりがないと、できないトライアルだったのではないか。と、この10曲を聴くと思うが、本人によると、そういうわけでもなかったようだ。

 「最初に、何人かのプロデューサーの、曲のデモ・トラックを聴かせてもらった時に、ダントツで多保さんがかっこよくて。『えっ、こんな音楽を作ってるんだ?』と思って、すごく意外で。で、自分が歌うのを忘れて、『かっこいいから、これがいい!』みたいに思っちゃって。私は常々、好きな歌、かっこいい歌と、自分が歌える歌は違うと思っているんですけど、すごくいい曲だから、飛びついちゃって。で、実際、歌ってみたら、ちょっとした節回しとかがすごい難しくて、『うわ、しまった!』って。
 でも、自分の新しい試みとして、まずやってみて。で、2曲目以降は、自分が歌える曲を多保さんに作ってもらえばいいんだ、みたいに思って、スタートしましたね。でも、そのあとも、『うわ、しまった!』という曲が次々と(笑)。そのたびに、『なんでやるって言っちゃったんだろう』と思うけど、曲の力がそれを超えていて。『うわ、歌ってみたいな!』って思っちゃうんだよなあ。自分にこんな素敵な曲を作ってもらえたんだ、って思うと……『Why Boy』のR&Bっぽい感じなんて、まったく私になかったもので。最初は『ないないないないない!』と思ったけど、『……でも、やっぱり、いい曲だから歌いたいなあ』なんて。
 だから、そんな高い志を持って始めたわけじゃなかったんだけど、結果的に、どんどん多保ワールドに入って行っちゃって」(杏子)

 「レコーディングの最後の最後に、杏子さんが、『やったあ!』みたいな、いい表情をされた時に、ちょっとホッとしたというか。自分も、信じてやってきてよかった、って思いましたね。杏子さんにとって新しい音楽、っていうだけじゃなくて、僕にとっても新しい音楽になりました。最初は、僕から提案していたつもりでしたけど、いつの間にか、僕も新しい扉を開け続けていた感じがしましたね」(多保)

 「私、自分のアルバムあんまり聴かないんですけど、今回は、すっごい聴いてる。 自分で聴いたことがない自分の声とか、やったことがない歌い方とか……聴いていて、ほかの人が歌ってるような気もするようなことがある、っていうか。だから新鮮で、自分でも聴けるんだと思う。いつものメンバーで『はい、ジャーン! OK!』って作ってたら、今のこの達成感はないと思う。だからこそ、聴いてほしいな、っていう思いも、めちゃめちゃ強いし」

 そんな、両者にとって、大きなターニングポイントになった本作に、杏子は『VIOLET』というタイトルを付けた。 4曲目の「the days~幸せをどうか~」の中で用いるために、「SWEET VIOLET」という言葉を思いついたのが、発端だという。「the days」に鎮魂歌のイメージを感じ、「昔、ヨーロッパでは、亡くなった人をスミレの花で囲って見送る、っていう風習があって」というところから閃いたそうだが、結果的にそれとは別の曲、1曲目の「VIOLET」で使われた。そして、それがアルバムのタイトルにもなった。

 「紫って、私は今まで身にまとったことがなくて。バービーから考えて、基本は黒、それから白、赤、とか。 あと、ソロになってからのジャケットを見たら、ブルーもあるんですよね。でも、バイオレットは、使ったことがなくて、『あ、自分にとって、新しい色なんだ』と思って。多保さんと一緒にやったことも新しいし、『アルバム・タイトルにいかがでしょう?』と。
 そのあと知ったんだけど、私のパーソナルカラー、バイオレットなんですって。 イラストレーターのウマカケバクミコさんと、この間仕事した時に、『杏子さんの色、パーソナルカラー診断で訊いたらね。紫だって。』って言われて、『なにゅ!?』って(笑)」(杏子)



(テキスト 兵庫慎司)