M10
発売は未定であるけど、現在制作中のアルバムにオリジナルバージョンはあります。「長澤の音楽」としかいいようのないそのバージョンも素晴らしいのですが、長澤にはむかないかと思われた今回のアコースティックバージョンのリテイクは、その表現において優劣つけがたいものとなりました。今現在オリジナルバージョンを聴いていただくことができないことのなんと歯がゆいことでしょう!歌の表現が違います。音から受ける熱が違います。歌の指し示す方向すら違っています。でもまごうことなくそれは「どこまでも長澤知之」なのでした。いったい人間はここまで侵されたり、洗脳されたり、影響を受けたりということなしに個を表現することができるものなのかと思います。これはすでに脅威です。ジャンルや理屈やこんな解説などほっといて、まずは長澤の音に全身を浸してみてください。話はそれからです。