Masayoshi Yamazaki Tribute. FUKUMIMI
オーガスタキャンプ2010のアーティストミーティングが終了せんとした時、やおら山崎が「今回みんなで、俺の曲カバーしてくれる企画やってくれて本当にどうもありがとうね・・・」と珍しくまじめに語り出した。普段はひょうひょうと冗談を言ったり、近づきがたいオーラを醸し出している山崎の、この殊勝な態度に、特に後輩達は心打たれたようだ。常田真太郎もその一人で、このときまではピアノで何かしらの曲をインストでやるくらいに受け止めていたようだが、一躍「山さんの心意気に応えるべく僕ここ(僕はここにいる)をフルオケで!」と相成った。ストリングス、木管、金管、打楽器など総勢60人のオーケストラでの録音である。もちろんアレンジはすべて常田。タクトこそ振らなかったものの、縦横無尽にサウンドを構築した。「トリビュートの、いやリスペクトのテーマのつもりで作りましたので、是非一曲目にしてください」との本人の弁。
ピアノを弾くようにと常田曰く「スガさんからの悪魔のメール」が送られたことにより実現した、今までにないコラボである。オリジナルシングル発売当初に既にオーガスタ所属であったスガは「当時は大嫌いだった」という。その後に高速道路運転中にラジオから流れてきたこの曲を聴いて理解できない衝撃を受け、思わず路肩に車を止めて聴き入ったというエピソードがある。山崎=スガの長い歴史を踏まえた一曲。そもそも山崎の曲は、歌い回しが独特で、言葉の頭がビートの裏から入る場合が多い上に、言葉によってメロディーのリズムが平気で変わるという、まさにシンガーソングライターたる作風を持っている。この曲も例外ではないのだが、スガはそのメロディーを尊重し、踏襲しつつも、それもまた独特であるスガの歌い回しを随所にちりばめた歌唱となっている。
大橋が言う「すり切れるまで視た山さんのビデオ」は2000年の「One Knight Stand on films」である。スキマスイッチが初めてオーガスタキャンプに出演したその帰りのバス車中で、大橋はギターを手に「山さんの曲は全部演奏できます!」と次から次へと山崎レパートリーを披露し、山崎本人が誰よりも圧倒されてしまった。そんな「日本一の山崎ファン 」を名乗る大橋卓弥が悩みに悩んで、ようやく一曲選んだのがこの曲。大橋卓弥ソロ名義活動には欠かせない「Drank Monkeys」を率いてのレコーディング。比較的最近の曲だが、あえて大橋は70年代ソフトロックのテイストに仕上げている。オーガスタキャンプ2010の打ち上げ、酒の進んだその席で大橋が山崎に「もっと山さんに近づきたいんで、同じ場所に立つため今日限りで僕は山崎ファンをやめます!」と満面の笑みで語っていたことが印象的であった。
山崎にとっての唯一「事務所の先輩」である杏子による、オリジナルのロックテイストとは打って変わった「めちゃセクシーペンギン」。山崎がライブでこの曲を演奏する際、余興でペンギンの着ぐるみが小ネタをするのだが、かつて何回かサプライズで杏子が着ぐるみで登場するという機会があった。山崎は中にはいつものマネージャーが入っていると思い、突っ込みを入れたりどついたり。結果、着ぐるみからは杏子が出てきて、山崎が恐縮のあまりひれ伏すというオチになるわけである。デビュー前からバックバンドとして、後輩として山崎が20年近く世話になってきた「姉さん」による姉弟愛に満ちつつ、杏子ならではの、うねるようなウィスパーボイスが堪能できる一曲である。
竹原ピストルは野狐禅時代を含めカバーの歌唱は大変珍しいのだが、山崎とともに毎年参加している宮古島での「美ぎ島 MUSIC CONVENTION」 でこの曲を演奏。このパフォーマンスは大絶賛され、今回このアルバムへ是非にもと参加を呼びかけたところ快諾をもらい、友情参加として収録の運びとなった。本来オリジナルのサビは全編英語のところを、竹原の「意訳」いや、はやりの言葉で言えば「超訳」による全く新たな歌詞が付け加えられている。かなり竹原節満載のフレーズだが、結果言葉の表現するべき目線はオリジナルからひとつもぶれていないという離れ業であり、「カバーをすること」へのひとつの問題提起と回答とすら思えてしまう。
昨年の元ちとせ「やわらかなサイクル」のプロデュース以来若干表面化したものの、本来は非公式中の非公式ユニット「さだまさよし」。何となく誰かと行動する時、2010年度の山崎の相方ともいえるようなCOILの岡本定義によるテイク。実はシングルが発表された1997年以来岡本はこの曲を絶賛し続けてきた。「山ちゃんじゃなくて、実は僕が書いたんじゃないか」というくらいアイデンティファイしているようである。アレンジは今年「はまっちゃってる」ボサノヴァが、ここでも登場。オリジナルは不協和音とストリングスのおどろおどろしさでアヴァンギャルドを標榜しているが、岡本バージョンもトラディショナルなボサノヴァの手法ではあれど、これはこれで十二分に異端である。
山崎のレパートリーには本人自ら「標高高い系」と呼ぶ一群がある。「名前のない鳥」「やわらかい月」「untitled」「メヌエット」が代表格だ。たゆたうようなマイナーメロディーと、無国籍なラインが特徴だが、実はこの要素は元ちとせのルーツである奄美民謡と通底する。必然的にマッチするのだ。デビュー前に本人の希望でどうしても「名前のない鳥」のギターを弾いて欲しいとニューヨークまで山崎を追って行った際、その当時新曲だったこの「やわらかい月」を「この曲もちとせに合うと思うよ」とやおら歌い出した逸話がある。以来10年を経て、ここにようやくちとせによる歌唱と相成った。「WITH STRINGS」ツアーで山崎オリジナルのストリングスアレンジを何度となく演奏した服部隆之による、全く新しいアプローチがすばらしい。
当初長澤はこの曲と「月明かりに照らされて」どちらを選曲するかを迷っていた。曲調は対照的な2曲だが、歌詞世界はなるほど長澤の世界観にシンクロする部分があるかもしれない。結果この曲を選んだのは、オーガスタキャンプ2010の会場である夢の島公園に当日あのすばらしい演出効果をもたらした風が吹くことを予知していたからであろうか?アレンジ、特にギターのアプローチは山崎のオリジナルのテイストを尊重しているようにみえる。が、やはり長澤の歌唱で、同じ景色をを別の画家が描いたほどの、全く違うものに変化させている。山崎のオリジナルと、長澤の今回のテイク、イメージされる妖精のキャラクターの違いを、聴くものそれぞれが楽しむことが出来るだろう。
さかいを交えたミーティングの場で山崎トリビュートの選曲の話題になった。スタッフが何気なく「ワンモアとかいいんじゃない?」というと、反して神妙な表情で、さかいがポツリと「そうですよねぇ・・・歌えたら最高だけど・・・やっぱ無理っすよね?」その時にはスタッフ全員の頭の中でさかいがピアノで弾き語るワンモアが大音量で鳴り出していた。それは全員がすばらしい作品になると確信した瞬間だ。「・・・いや、無理じゃないよ」「きっとすごく良くなるよ」その場は、そのイメージで、少し強引に押し切ってしまったものだ。話はその日のうちにオーガスタ社内を興奮とともに駆け巡った。決定事項としてレコーディングを数日後に控えたある日、さかいから「やっぱりあの曲は自分に重すぎます。おこがましいので別の曲で行きたいんですけど」との連絡が来た。結局、山崎本人まで背中を押して、ようやくレコーディングへ。一度やると決めたさかいは全力で臨んだ。そうして収録されたテイクは予想以上のすばらしいものであったのは言うまでもない。確かにこの曲のパフォーマンスで山崎を超えることは不可能なのかもしれない。それが誰よりもわかっていたからこその、さかいの「無理」だったのであり、「おこがましい」だったのだと思う。超えること能わず。しかし全く別の地点での頂点には確実に登っているテイクであることも確かだ。そしてこの曲までもこのアルバムのセットリストに加えられて、誰よりも嬉しかったのは、他ならぬ山崎まさよし本人であるだろう。その意味でも最高のトリビュートになっているに違いないのである。